学園コメディ

Sister Syndrome 第七話

 まさか、唯姉貴にまでその名で呼ばれてしまうとは、不覚! まぁいい、あの夜はのっけから『バカ兄貴』と呼ばれたんだ。それから考えれば、進展したと言っていいだろう。
 近いぞ、Xデーはもう間近に迫ってると俺は断言する! そう、脱・彼女居ない暦年齢分っ! と、俺が握り拳を天井に突き上げようかと、行動に移る瞬間だった。
「何、一人でニヤケてるんだ? バカ兄貴」
「はい?」
「今、どんでもなくスケベな事考えてたろ」
「そ、そんな事はねぇぞ」
「ふぅ~ん、どうだかな」
 同じ顔で、どうしてこうも違うかねぇ。正反対だもんなぁ……。
 でも、黙ってりゃ可愛いなぁ、三人並んで歩きたいぜっ! これぞ両手に華! 世の男共が果たせなかった夢を、俺は叶えるのだっ!
「ふっ」
 思わず出た溜息に、
「この、ドヘンタイ」
 ぬわ~ぁ、し、しまったぁ! 俺とした事が、柚実の前では絶対にやってはならん事をやってしまった。
 市中引き回しの上、打ち首獄門。と、北町奉行の名裁きを受けたに等しい。やばいぞ、これは大失態だ。これを回復するには、並大抵の努力では回復できん。
「い、いや……そう、俺って、こう見えてもナルシストなんだよ」
 なんじゃその言い訳は。
「へぇ~その顔で? ふふ」
 うぐぅ、そこんとこ突いてくるか。そりゃそうか、振ったの俺だし。
「……」
 返す言葉がねぇ。だが、こんな事で負ける訳にはいかんのだ。そう、俺が目指す明るい未来の為に! 両手に華。それっきゃねぇ! 

 ――あ、二兎追うものは一兎も得ず、ってのもあったなぁ。

 いやいや、そんな事は絶対にさせ~ん! じっちゃんの名にかけてっ。
 と、俺がまたも暴走して、首を左右に二度振った時だ。
「あ、もう時間だ」
「え?」
 柚実が、腕時計を見つつ言った。
「そろそろ、母さんが帰ってくる頃だから、アタシは行くよ」
「行くって、何処へ?」
「まぁ、そのうち分かる。じゃぁな、バカ兄貴」
「あっ」
「それから、アタシがここに居た事は内緒にしとけよ」
「え?」
「言ったら、殺す」
「うっ」
 そう言うと、柚実はリビングを出て階段を駆け上がって行く。
 おいおい、普通玄関から出るだろうが。何故に二階……そうか、お忍びか。

「ふぅ~」
 俺はソファーにゆったり座ると、今までの状況を冷静に整理しみた。
 唯と柚実は双子の姉妹で、柚実が姉、唯が妹。そして、柚実は訳あって離れて暮らしている。ん~普通に考えれば、涼子さんの分かれた旦那のとこに居るって事だよなぁ。今まで一緒に居た姉妹が、離れて暮す……切ないぜ。
「ただいま戻りましたぁ~」
 柚実が去ってから、ほんの数分だろうか。涼子さんが帰ってきた。
 ぱたぱたと、スリッパの音を響かせ再び。
「ただいまぁ」とリビングのドアを開けた。
 ベージュで大きな、布で出来たマイバックを一杯にして。涼子さんがその美しいお姿を披露する。
「お帰り、涼子さん」
「あら、ルードリッヒ。起きたのね」
「ま、まぁ」
 そりゃ起きますって、もうお昼過ぎてますから。
「そだ……」
 俺は柚実の事を聞こうと思ったが、最後の言葉を思い出した。ここで、言うのは簡単だが、男としてどうなんだ? と。
「何? ルードリッヒ」
「あ、いや、何でも」
「そう」
 涼子さんは微笑むと、キッチンへと入っていった。
 まぁ、そのうち分かるよな。それに、些細な事で、俺の壮大な野望が台無しになっても困るし。
「涼子さん?」
 俺はキッチンに向かって言った。
「何か?」
「唯は何処に行ったの?」
「ああ、唯ならお友達とお買い物よ」
「ふぅ~ん」
 唯にも友達が出来たか、良かった良かった。
「男じゃないよね?」
 念の為聞いてみる。
「さぁ、違うと思うけど」
「……」
 思うけど? 涼子さんも知らないのか? こ、これは、事件の匂いがするぜ。そうは思いませんか? デカ長。
 こうしちゃおれん、俺も聞き込み捜査に出なくては。
「涼子さん、俺、出掛けてくる」
「あ、はい。お気を付けて」
 と、急ぎ玄関へ向かったが、途中の姿見を見て……取り合えず着替えるか。
 服を着替え、再び玄関へ。
 俺が行くまで、間違いを起こすなよ。いや、俺の許可無く唯と買い物なんて、許さんぞ信長っ! 天下は俺のもんだ。
 靴を履き、勢い良くドアを開ける。と、そこには、
「!?」
 見慣れない少女が立っていた。背丈は唯とさほど変わらない、唯よりちょっと高いくらいか。三つ編みの髪の毛が、後ろで一つになっていた。そして、鼻の上にはメガネがちょこんと乗っかっている。
「あっ」
 少女は、俺の顔を見ると少し驚き、二歩ばかり後ずさった。
「えっと」
 開けたドアはそのままに、俺はその少女を見ていた。か、可愛い。ちょっと困ったその顔が、キュートだ。よし、ボーナスポイントをあげよう。
「あのぅ」
「あ、何だい?」
「唯ちゃんは、帰ってますか?」
「え?」
 そうか、唯の友達かぁ。流石は我が妹、目の付け所が違うぜ。
「私、一緒に食事してたんですけど、急用が出来たって言って」
 何だ、この子が今日のお相手だったか。
「で、コレ……忘れていったから」
 その子が俺の目の前に出したのは、唯がさっきまで着てたであろう上着だった。
「え? わざわざこれの為に?」
「はい」
「ありがとうな」
 何て律儀な子なんだぁ。俺、こういう子もストライクゾーンだっ!
 などと感動に浸っていると、こっちに向かって走ってくる人影が一つ。物凄い勢いだ。その影が近づくと、その正体が判明した。
「唯」
 唯は玄関前まで来ると、ビタッと急停止した。息も切れ切れに、肩で息をしている。相当長く走って来たようだ。
「唯ちゃん」
 少女は、驚いた様に唯に声を掛ける。
「あ、コウちゃん」
 コウちゃん? 女の子だよな?
「唯ちゃん、上着忘れてたよ」
「はぁ、はぁ、あ、ありがとう」
「どうしたんだ? 唯」
「あ、お兄ちゃん」
「あらあら、何か騒がしいと思ったら」
「涼子さん」
 玄関先での出来事に気が付いてか、涼子さんがキッチンから出てきたようだ。
「そんなとこで話してないで、中に入ったらいかが?」
 涼子さんの言葉に、一同黙って頷き、そして微笑んだ。

 ――リビング。

 テーブルには、涼子さんが入れてくれた紅茶が三つ置かれていた。
 長椅子に唯と友達、反対側に俺がそれぞれ座る。涼子さんはキッチンで、買い物の整理。
「今日は、その、わざわざありがとう」
 俺は、唯が言う前に、上着を届けてくれたお礼を少女に言った。先手必勝という奴だ。
「いえ、いいんです」
「ううん、唯、すっごく助かったもの」
「そんな事……でも、唯ちゃんてば急に居なくなるからびっくりしちゃった」
「あ、ごめ~ん。ほんと急用でさ」
 唯が両手を合わせ、そして頭を下げた。
「ううん、いいのよ」
「あ、あのぅ~」
 俺は二人の会話に割って入るのに、少しばかり気が引けたが声を掛けてみた。
「あ、ごめんお兄ちゃん。この子は私のお友達で、篠原紅蘭ちゃん」
 唯に紹介された彼女が、軽く会釈し、
「篠原です」
「オ、いえ、僕は唯の兄の――」
 名前を言いかけた時だ。
「ルードリッヒッ! お願いがあるの~」
 絶妙なタイミングで涼子さんが俺を呼ぶ。しかも、ちょっと悩ましげだ。
「何ですか? 涼子さん……あっ」
 条件反射というやつか、俺は思わず返事をしてしまった。
 チラリ紅蘭ちゃんを見ると、その顔は驚いてるような笑ってるような、何とも複雑な表情を見せていた。俺の気持ちも複雑だ。
「あ、いえ、大丈夫みたいです。お騒がせしました」
 ホントにお騒がせですって、涼子さん。
 で、改めて俺が彼女の顔を見ると。少し笑いながら、
「あだ名ですか?」
「まぁ、そんなものです」
「かっこいいですね」
 ハイ? ルードリッヒが? まぁお世辞でも何でも少しか救われた感じがした。
「君こそ、可愛い名前だね」
「ありがとうございます。そう言ってくれる人はあまり居ないので嬉しいです」
「そうなの?」
「ええ、変わった名前だねって言われる方が多くて」
 紅蘭ちゃんは少し笑ったが、何処か哀しげだった。差別でもされてたのか? こんな可愛い子に対して。これは由々しき事態! 唯共々、この俺が守ってやるぜっ!
 はっ、もしかして彼女の名前は、某ゲームのキャラが好きでたまらない父親が、俺はメガネ属性でチャイナドレスが大好きなんだぁ。とか言って付けてしまったとか? 名前は選べないし、センスが悪いと一生恨み兼ねないからなぁ。ん~、大丈夫だよ、俺がついてる。元気を出すんだ。
「そんな事無いと思うけどなぁ」
「そ、そうですか?」
 照れてる姿も、可愛いぜ。
「もう、お兄ちゃんたら、紅蘭ちゃんが可愛いからって」
 唯のやつ、焼もちか? そうなのか? いやぁ、俺ってやっぱり幸せもんだ。
 まぁ、何にせよ、唯が男と一緒じゃなかっただけでも、大収穫。そして、紅蘭ちゃんに出会えたのも、偶然ながらラッキーだぜ。
 小一時間程だろうか、皆で他愛の無い会話を弾ませた。途中から涼子さんも加わり、傍からみれば、これはハーレムか? っつう光景が広がっていた。

 玄関前、皆で紅蘭ちゃんを見送る。
「それじゃまたね唯ちゃん」
「うん、また」
「ルーさんもまた」
「あははは、今度もトゥゲザァしようぜっ! 紅蘭ちゃん」
 俺は何時しか、ルーさんになっていた。もう、半ばやけくそで親指を立てた。
「うふふふ、ハイまた是非」
 キュートだぁ。と、見とれていると、
 ゲシッ!
「っつ! 何すんだ唯っ!」唯のローキック炸裂。
「別にぃ」
 そっぽを向く唯。少しは手加減してくれ。


つづく

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Sister Syndrome 第六話

「うっ……ん~」
 く、苦しひ。何だこの押し潰されそうな感覚は!
 寝苦しいぞ……。
「ぬわっ!」
 意味の無い言葉を発し、俺は勢い良く布団を跳ね上げ上半身を起こした。
 寝汗が酷く、パジャマがまとわり付いて気持ちが悪い。次に、汗がスッと引くとちょっとした悪寒が俺を包んだ。
 枕元にある時計に目をやると、午前二時を過ぎていた。
 最近、ハイテンションだったからなぁ。疲れもするよなぁ。
 俺は、ベッドから出ると。抜けた水分を補給するために、キッチンに行こうと決めた。
 ドアを開け廊下に出ると、ちょっと蒸し暑い感覚がしたが、まぁいい。
 と、隣の部屋から何やら話し声が聞こえてきた。
「何だ?」
 漏れ聞こえてきていたのは、唯の部屋だった。唯のやつ、TV消さないで寝たな。

 ――で、閃いた。

 ぐふふふ、そうだ、TVを消してやる。という口実を元に唯の部屋に潜入だ。
 仮に起きたとしても「駄目じゃないか、ちゃんと消さなきゃ」とか何とか言って。そんで唯が「ごめぇんお兄ちゃん、でもね……」とちょっと不安顔してさ。んでもって「でも、何だよ」と返した後に、「でもね、唯。ちょっと夜が怖かったんだもん」とか?

 あははは、待ってろ唯。俺がその恐怖を拭い去ってやるぞ!

「いざ」
 ドアに手を掛けた瞬間。その声の主がちょっと予想と違う事に気付いた。
「……だから、ちょっとは我慢してよ」
 あれ? 唯の声だ。
「ったく、アタシもあれで結構我慢してるぜ」
 ん? 誰だ? 女の子の声だけど。
 俺はドアの前で耳を澄ます。盗み聞きかよって思ったが、夜中に友達を呼び入れるなんてけしからん! これは兄として状況を把握し、最適な対処をする為には必要不可欠な行動なのだよ。で、どれどれ。
「あれで? 本気で言ってるの?」
「マジマジ、もうあれが限界」
「もうちょっと唯の事考えてよぉ」
「ちゃんと考えてるさ」
「考えてない~」
 何の話してんだ? 全然話が見えん。俺はそっとドアのノブを回し、ほんの少しだけ開けてみた。やはり、今度は目視で確認せねばならん。
「!!」
 な、なんですと? 唯が二人居る!
 見間違いかと思い、俺は一旦階段の先を見、再びドアの隙間を覗いた。
 やっぱり、そこには唯が二人居た。こ、これは……一気に可愛い妹が二人出来たって事か! 何て俺は幸せモンなんだっ!
 そんな事を考えてる間にも、二人の会話は進んでいた。
「じゃぁ何で、お兄ちゃんにあんな事言ったのよ」
「あんな事? ああ、あれか」
「あれかじゃないよ」
 同じ顔が向かい合って、口の悪い方の唯はベッドに座り。そして、もう一人はその前に立って、右回りにぐるぐるとその場で回っていた。
「いいじゃねぇか、あんなバカ兄貴なんか」
 何おぉ、もう一人の唯。そりゃねぇだろうよ。まぁ、頭はそんなよかねぇけど。
「良くないっ!」
「あはは、お前、あのバカ兄貴の事……」
「そ、そんな事ないよっ」
「あはは、赤くなってる」
 可愛い方の唯、もしかして俺の事を? それがホントなら嬉すぎるぞっ!
「もう、お姉ちゃんのバカッ!」
 なぬっ! お、お姉ちゃんだと? 唯に姉がいたってぇのか?
 聞いてねぇぞ、バカ親父。
「そう言うなって、もう迷惑はかけないからよ」
「だからって」
 そうか、双子か。そうか、そうか、うん。

 ――でも、ちょっと待てよ。

 だとすると、あの時キッチンに居た唯は、もう一人の方だったって事か?
 夢じゃなかったけど、夢みたいな話だぞ。すげぇぞ、口は悪いが顔は同じ、楽しみは二倍か? ちょっと違うテイストで刺激的ってか。
 などと、感激に浸ってドアから目を離している時に、
「じゃ、アタシはこれで帰るからよ」
 え? 俺がその声を聞いて再びドアの隙間に目をやると……。

 何処に行ったんだぁ、まい・えんじぇ~る~!

 二人が家に来てから、一週間が過ぎた。俺の妄想列車も毎日走り続けてる訳だが、時々、特急になっちまうのは、かなりヤバ目ではある。
 だってよぉ、特に涼子さんが……もう、わざとかよって位の勢いで俺を誘惑すんだもの。まぁ、本人は全然そんな気は無いんだろうが。俺にとっちゃ、そりゃ生殺しだよぉ、って。
 この前なんざ、お風呂上りにタオル一枚で家ん中歩き回るし。聞けば石鹸を探してたそうで、んなものちょっと言ってくれれば何ぼでも俺が……覗きついでに、って何言ってんじゃぁ!
 敢えて例えるなら、と~っても利口な飼い犬が、自分の大好きなエサを目の前に出されて『待て』をさせられてる心境だ。ああ、俺は誓うぞ、もし犬を飼ったら待ては程々にすると!
 どっちにせよ、決してどうにかしたい訳じゃないが、否、よそう自分を偽るのは……どうにかしたいというより、俺がどうにかなりそうだ! クソ親父、恨むぜ。この羨ましい状況と引き替えに、置いてった代償をよ。

 なんて事を、俺はベッドの上で考えていた。今日は日曜、今は昼をちょっと過ぎた頃だろうか、実はさっきまで惰眠を貪っていたのだ。
 そろそろ腹も減ったし、飯でも食いに行くか。
「っしょと」
 この若さでかけ声が出ちまうとは、と思いつつ身体を起こした。少し頭がクラッとする。
 こりゃ、寝過ぎだな。
 スエットの上下という、何とも超ラフな格好で俺は下に降りた。
 リビングに入り、
「おはよう……にはちょっと遅いかな? あはは」
 などと言ってみたが、人の気配がしない。TVすらついてはいなかった。
「あれ?」
 唯はともかく、涼子さんは居ると思ったんだけどなぁ。
 そして、キッチンへ。
 やっぱ居ない……か。
「ん?」
 俺はテーブルの上にある紙切れを見つけた。
『お買い物に行ってまいります』
 なるほどね。まっ、いいか。朝食も用意してくれてるみたいだし。
 俺は、自分の席に座ると、たぶん朝食だろうと思われる食事を口に運んだ。
 相変わらず、料理上手だぜぃ。

 ――二十分後。

「ごちそうさまでした」
 はぁ、美味かった。涼子さんはまだみたいだし、TVでも見ますか。
 ああ~まったりモードだねぇ、今日は。
 リビングに再び入ると、さっきとは違っていた。
「ゆ、唯?」
 そこには、ソファーに座る唯の姿があったのだ。
「ん?」
 唯は頭だけをこちらに向けた。
「唯、何時帰ってきたんだ?」
「はぁ? アタシは何処にも行ってねぇぞ。寝てんのか?」
「うっ」
 こ、この口調は……もう一人の唯。姉貴の方か? 黙ってたら全然わかんねぇよな。
 だが、この前の俺とは違うぞ。あの時は驚いちまったが、今回は違う。
「べ、別にそんな事ねぇけど」
「ふ~ん」
 相変わらずというか、何というか素っ気無い返事。俺はめげずに正面のソファに座った。
「な、何だよ」
 唯は俺の行動を視線で追い、興味深げに見る。
「別にぃ、今日は逃げないんだなってよ」
 逃げた? 俺が? ……あの夜の事か。
「まぁな」
 外見は同じでも、中身が違うとわかればどうと言う事はない。
「ふぅ~ん」
 ふぅ~んて、何でしょうか? その見下したような瞳は。
 ちょっと引いちゃうなぁ俺。
「な、何か言いたそうだな」
「別にぃ、それに……アタシが誰なのかって事、知ってるだろ?」
「え?」
「気が付いて無かったとでも思ってたのか?」
 気が付いてって、あの日、俺が覗いてた事知ってんのか?
 それなら話は早いか。
「そうか、知ってたのか」
「ああ、この……スケベ」
 言いながら唯が、正確には唯の姉貴がニヤリと笑う。ぬわぁ~その言葉が出てくるとはぁ、俺は聞きたくなかったぁ。まぁ、あの時勇んで中に入っていたら、もっととんでもない言葉が浴びせられてるんだろうな。そう、それは『変態』という言葉が!
「あ、その、すまん」
「へぇ、案外素直なんだ」
「……」
「まっ、いいか。アタシは柚実(ゆみ)」
「え?」
「知りたがってるだろ? 顔に描いてある」
「お、俺は……」
「ルードリッヒだろ?」
「はい?」
「違うのか?」
 そ、それは言わないでくれぇ~。しかし、柚実がとんでもない顔で睨んでいた。
「いえ、その通りです」

つづく

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Sister Syndrome 第五話

 毎朝、可愛い妹と一緒に登校できる幸せ。同じ学校じゃないというのも、何となく萌える要素だな。
 もう、忘れようアノ事は……何か悪い夢だったんだ。そう、あれは俺のこの羨まし過ぎる環境を嫉んでの呪い。生霊攻撃に違いない! 絶対そうだ。
 と、誰の仕業かも分からないモノに変換し、俺は納得した。

 ――学校。

 何時ものように、何時もの如く黄昏れてると、
「よう、相変わらずだな。お前」
 そう言って声を掛けてくるのは、例によって真二だった。俺はちょいぼけた感じの顔を、真二に向ける。
「んあ?」
「それよかさ、見たぜ」
「はぁ? 何を見たって?」
 少し興奮気味に真二が言うが、俺には何の事やらさっぱりだ。
「惚けんなよ」
 惚ける? 俺が? つう事は俺に何か関係あんのか?
 ん~エロ本は拾った覚えはねぇし、DVDも買った借りたも最近無い。
「何の事だ?」
「そこまで惚けるとは、俺は悲しいぞ」
 益々もって訳わからん。
「だから、何だっつんだ」
「彼女が出来たなら出来たって、言ってくれてもいいじゃんか」
 真二がにやけた顔でそんな発言をした。か、彼女ですか? 俺って、何時の間にそんな嬉しい事になってたんだっけ?
「誰の彼女だ?」
「誰って、お前のに決まってんだろぅが」
「はい?」
 寝惚けた脳みそに血液が一気に流れ、フル回転する。だが……。 
 どうなってんだ? 俺に彼女なんて……誰かと勘違いしてんのか? まさか、俺と唯の事を言ってんのか? ありえんぞ、だいたい目撃するには道が逆だし。
「にしても、お前がロリ萌え好みだったとはなぁ」
 腕組みをし、首を縦にウンウンと頷きながら真二が言った。
「萌えだと? 何言ってんだよお前は」
「またまたぁ。誰だ? あのセーラー服美少女は」
 俺を覗き込むように真二が迫る。ちょい待て、俺にはそんな趣味はねぇぞ。
 にしてもセーラー美少女……やはり唯の事か。こいつ、何処で目撃したんだ? くそっ、俺とした事がミッションに失敗するとは。軍曹が言っていたな、失敗は死を意味すると。
「なんだ、それか」
 急接近した顔を離し、俺は背もたれに身体の半分を任せた。
 ふっ、捕虜になっても俺は負けないぜ。
「何だって、それだけかよ」
 不服そうな真二。俺だって声を大にして叫びたいが、だが、それだとあまりにもアレだろ? 俺の敗北を意味するのだよ。
「だってよ、唯は……」
「へぇ、唯ちゃんていうのか。可愛いねぇ」
「俺の妹だ」
「へ?」
 まさにこれ、鳩がまめでっぽう食うって感じで、真二がフリーズした。まぁ、世の中、予想外の答えが自分を襲ったとき、誰しも起こす現象だろう。

 ――数秒。

「今、何て言った? 確か妹と」
 再起動した真二の思考回路が、数秒前の出来事から復帰した。
「そうだけど」
 こいつの驚いた顔見るのも、面白いな。
「だって、お前は単品だろ?」
「単品て何だよ。一人っ子って言えよ」
「どっちでもいい。それよか、隠し子か何かか?」
 相変わらず立ったままで、疑問符を投げかける真二。
「んな訳ねぇじゃん。再婚したんだよ」
「へ? 親父さんが?」
「そりゃそうだ、俺な訳ねぇだろ」
「だよな」
「だよ」
「でも、良かったぁ」
「何がだ」
 この安心しきった顔。まさかとは思うが……。
「唯ちゃんが……」
「ダメだ」
「まだ何も言ってねぇけど」
 真二の言葉を遮るように、即答且つ否定的な答えを入れる俺。
 全部言わなくてもだいたい分かる。何年こいつと腐れ縁やってんと思う。
「お前の魂胆は予想がつく」
「何だよそれ」
 再び不服そうな真二に、俺は念を押すように続けた。
「唯は、俺の妹だからな」
「何だよそれ……ふ~ん、随分と過保護的発言だな」
 ニヤケた顔の真二が、俺を見下ろしながら言う。お、俺は負けんぞ。
「そ、そうか?」
「ああ」
「で、誰が過保護ですって?」
 そんなやり取りの中、少し威圧的な感じの声が割って入る。俺と真二はほぼ同時に、声のした方へ視線を向けた。丁度俺からは真後ろ、真二にとっては正面の位置になる。
 そこには、亜利未が腰に手を当て立っていた。
 俺は、椅子の背もたれを抱きかかえる様に座りなおし、身体を後ろに向けた。
 真二は腕組みのまま立っている。
「面白そうな話ね」
 何処と無く、不機嫌そうな顔の亜利未。気のせいか? まぁいいか。
「別に面白かねぇよ」と俺は言うが、
「それがな亜利未。こいつに、何と! 妹が出来たんだってよ」
 組んでいた腕を解き、大げさな身振りで真二が伝えた。
 亜利未は、うそ~と言わんばかりの表情で驚くが、
「へぇ、でもアンタんとこって父子家庭じゃなかった?」
「まぁな」
「ま、まさか……」
 こいつも、隠し子? なんて事言うんだろ? 分かってるって。
「アンタの父さんて、実は女だったのね」
 な、何故~っ! そんな発想が出てくるんだ。マジで言ってんのかよ。
「お前なぁ、どっからそんな事になんだよ」
「だってさ、父子じゃ絶対無理でしょ? て、事は母子しかないじゃん」
「ったく、親父が再婚したんだよ」
 利口だと思ってたのによぉ。時々、天然なんだよなぁこいつは。
「……だよねぇ、アタシもそうじゃないかなぁって思ってたんだぁ。あははは」
 照れ隠しか、ばつが悪そうに苦笑いする亜利未。何が、そうじゃないかって? さっきまで、確信に満ちた目で語ってたくせに。
「でもさ、妹って事は、最近流行りのデキちゃった婚てやつ?」
「それがよ、違うから面白いんだよ」
 真二が亜利未の左隣に場所を移し言う。
「違うの?」
「違うんだよ」
「どう、違うのさ」
「こいつ、妹っていう割には、仲良く並んで学校行ったりしてんだぜ」
 何言い出すんだよコイツは! 間違ってねぇが、改めて言われると恥ずかしいじゃねか。
「ふ~ん、仲良くねぇ」
 亜利未が屈みながら俺の方へ顔を近づける。それも、含み笑いしながらだ。
「な、何だよ」
「随分と妹思いなのねぇ」
 そりゃそうさ、あんなに可愛いんだぞ。物騒な世の中、何が待ち受けているか分からない。その世界から守ってやるのが兄として、否、男としての勤めなのだよ。
「ま、まぁな」
「で、何処の保育園なの?」
「へ?」
「違うの? じゃぁ幼稚園?」
 どうやら亜利未は、妹が幼児だと思っているようだ。
「違う違う」
 真二が右手を左右に振りながらニヤケる。そして、一瞬視線を俺の方へ、
「実は、中学生なんだぜ」
「うそぉ~」
「それがマジでさぁ。俺なんか彼女と勘違いしたんだぜ」
「へぇ~中学生ねぇ~ふ~ぅん」
「それがどうしたよ」
「アンタ、ロリィ?」
 そう言うと微笑む亜利未。
 何ですか? その意味ありげな微笑みは。で、言うにことかいてろりぃって事ぁ無いでしょうよ。俺はその辺に居る変態オヤジじゃないぞ……だぶん。
 言い切れないのが辛いぜ。何せ、日々妄想列車が暴走中だもんなぁ。って、そんな事言える訳ねぇしな。
「何でそうなるんだよ」
「だって、ねぇ」
 ねぇ、の言葉と同時に同意を真二に求め、二人して小首を傾げた。
 その息ぴったりな行動はどうなの? 可愛い……んな訳ねぇだろっ!
「ったく、付き合ってらんね」
 言いながら俺は後ろを向いた。
 これ以上突っ込まれると、いらん事も暴露ってしまいそうだし。

 ――だが、そんな俺の気持ちを無視するかの如く。

「何、勝手に後ろ向いてんのよ」
 と、来たもんだ。どう言う事だよ亜利未、後ろじゃなくて状況的には正面になるんだけど。
 つか、勝手にって、何時から指導権がそっちに行ったんだ?
「そうだぞ、話はまだ終わってねぇ」
 おい真二、お前まで俺の敵に回るのか? 同盟国じゃないかっ! 期限切れかよ。

 くそっ、俺は一人でも戦い抜くぞ。そう、これは愛する大切な妹を、悪の改造から守るための必要な戦いなのだ。見てろよ唯! お兄ちゃんは愛の為に死んでみせる!
 いや、駄目だ駄目だ。死んでしまっては唯が悲しむ。愛する人の涙はもう沢山だ!
「俺は断固として、悪に屈しないっ! 来るなら来いっ!」
 俺は握り拳を天高く突き上げ、叫んだ。
「そうか、じゃこの問題解いて見ろ」
「はい?」
 せ、先生……何時の間に?

 ――妄想の時は、三倍のスピードで流れるぜ。

 認めたくないものだな、自分自身の、若さ故の……以下略。


つづく


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Sister Syndrome 第四話

 外は暗く静かで、時折、車が前の通りを過ぎてゆく音が聞こえる程度だった。
 俺は机にある電気スタンドを灯し、進まない宿題をその上に広げていた。ふと、天井を仰ぐように見詰めると、脳裏に浮かぶのは涼子さんの事だ。だって、下着着けてないんだぞ。それじゃ、寝る時もなのか? 今この時間も、彼女はベッドの中で……まさか全裸とか? いやぁ、照れちゃうなぁ。
 待てよ、て事はだぞ、あの母に育てられた唯も、ひょっとして……ひょっとするかも? あ、でも朝はパジャマ着てたな。それとも、起きて来るのに、全裸じゃ都合が悪いから着て来たとも考えられる。
 うん、この説は有力だ。

 俺は宿題に一区切りを付け、何か冷たい物でも飲もうとキッチンに向かった。時計は既に日付が変わり、二時間を過ぎようとしていた。
 二人を起こさないように、そっと、ゆっくり静かに階段を下った。
 すると、リビングのダウンライトが灯っているのが見えた。オレンジ色の光が、ドアのガラスから漏れていたのだ。
 消し忘れか? 俺はキッチンではなく、リビングへと足を向けた。
 ドアを開けると、そこには三人掛けのソファーの真ん中に座る、涼子さんの姿が飛び込んできた。
「りょ、涼子さん」
「ん?」
 俺の言葉に、涼子さんは反応し、上半身を少し捻り俺の方へと身体を向けた。白い長襦袢(ながじゅばん)が少し崩れ、胸元が大きく開いた。
「あら、ルードリッヒ。どうしたの?」
 彼女は胸元を直す事もせず、俺にそう言った。今にも、その大きな乳房が零れ落ちそうなくらいだった。
 くぅ~、何て艶っぽいんだぁ。そして、テーブルに視線を移すと、そこには日本酒だろうか、徳利とお猪口が置かれていた。……飲んでるんだ。
 と、思いつつも俺の視線は再び胸へ。うわぁ、結構デカイんだなぁ。
「えっと、何か冷たい物でも飲もうかと思って」
「ふぅん、そう……じゃ、あたしと一緒に飲むぅ?」
「え? まさか、俺はまだ学生ですよ」
「ふふふ、真面目なのね」
「ははは、そうですか?」
「そうよ、今時珍しいわ……ねぇ、ここ、座らない?」
 涼子さんはそう言って、俺に隣に座るよう勧める。相変わらず、長襦袢は直そうとしない。誘ってるのか? まさか、涼子さんに限って。いや、しかし……バカとは言え親父と再婚までしたのに、いきなり出張で居なくなったんだ、もしかしたら寂しいのかもしれない。え? 何だ? それじゃ、俺はあのバカ親父の代わりか?
 って、んな事たぁどうでもいいか。俺は、言われるままに腰を下ろした。
 すると……。
「ど、どうしたんですか?」
 俺が座るやいなや、涼子さんが寄り添ってきた。
「ふふふ、照れてるの? 可愛い」
 ふわっと、いい香りが俺の鼻をくすぐる。白い肌が、俺の視線を釘付けにした。
「ねぇ、ルードリッヒ?」
「はい?」にしても、その名前、まだ馴れないぞ。
「あたし、どう見える?」
「ど、どうって?」
「ふふふ……」

「はっ!」
 俺は流れた涎を拭った。ちっ、またやっちまった。勉強疲れか? 
 ノートを見ると全く進んでない。妄想疲れだな。ははは……。
 まぁいい、マジに何か飲み物をっと。俺は部屋を出ると、階段を静かに下りた。
「あれ?」
 リビングの方から、微かに明かりが漏れているのが見えた。
「ま、まさか、正夢?」
 どきどきと胸の鼓動が高鳴る。そっとドアを開けると……誰も居ない。
「はははは」現実は厳しいねぇ。ダウンライトのスイッチを消し、キッチンへ。
 冷蔵庫を開き、ミネラルウォーターをボトルのまま喉に流し込んだ。
「……っはぁ」美味い。ボトルを冷蔵庫へ戻そうとした時だった、背後に気配を感じた。振り返るとそこには……。
「ゆ、唯? 唯……なのか?」
 俺は暗闇の中、そこに居るであろう人物に向かって言った。
 誰か分からないのに、唯の名前が出るあたり、かなり意識してる証拠だな。違ったらどうすんよ俺。まぁ、実際のところ二択だからな。答えは二つに一つさ。ふっ。
 いや、ちょっと待てよ。もしかしたら、あちらのお方とも考えられる。それだったら非常にマズイぞ。何故かって? そりゃあぁた、唯の事知らないかもしれないし、何と言っても恥ずかしいじゃんか。

 ――そうだ。

 俺はキッチンの明かりを付けた。オレンジ色の光が、広がるように部屋を照らした。ハナからそうすりゃ良かった。安堵感も同時に広がる。
 改めて、キッチンを見回すと……。
「お兄ちゃん?」
「ゆ、唯」
 そこには、テーブルにグラスを目の前に置いて、椅子に座っている唯がいた。マグカップの中にはミルクが入っていた。
「お兄ちゃんも飲む?」
「はい?」
「ミルク」
 唯はにこっりと微笑むと、両手で包んでいたマグカップをススッと前に押し出した。
 ほんのりと、湯気が立ち上っている。ホットミルクかぁ。

 何て可愛いっ! 俺のハートもホットだぜっ!

 だが、対応は常にクールに。クールな男はカッコイイと相場が決まってるしな。
「ミルクなんて、唯はまだまだ子供だな」
 俺は少し笑って言った。

 ――だが。

「何よ、偉そうに。アンタにそんな事言われたくねぇよっ」
「!」
 俺の聞き違いか? それとも何か気に触る事言った? あれ? あれ? 唯の顔を見ると、眉は吊り上り、瞳は怒りに満ちていた。そっかまだ俺は……。と、思いつつ、
「ゆ、唯、どうかした?」
「何だよ、まだ何かあんのかよ。このバカ兄貴!」
 ぬわ~っ、何て事だ! あの唯の口から、そう、あの可愛い口からそんな言葉が出るなんてぇ。いや、出るはずが無いのだ。
 そうか、これは夢だ。そうだ、そうに違いない。
 もう一度寝よう。これが夢なら、覚めるだろう。
 寝るには、やはり、部屋に戻らねば。
「えっと、俺は部屋に戻るが、唯はどうする?」
「お前に、教える義務は無い」きっぱり、はっきり言い放つ唯。
「そ、そうでございますね。俺……いえ、僕はもう部屋に戻りますので」
「そっ、ならさっさと行きな」
 唯は、まるで野良犬を追い払うかのごとく、左手をシッシッと俺を仰いだ。
 く~っ、俺は犬かよぉ~。んや、これは夢なんだ。

 ――再び、そうだ。

 夢か否か、簡単に確かめる方法があった。
 俺は、自分で自分のケツをちょい強く摘んでみた。
「痛っ!」
 ば、ばかな。そんなはず無い。そうか、力を入れすぎたんだな。そうでなければ、痛いなんてありえねぇ。俺は否定するぞ、しなくちゃならんのだ。それが男ってもんだ。そうだろ? 我が同志よ。
 部屋に戻ると、俺はベッドにすぐさま潜り込んだ。朝になれば、きっとあの可愛い笑顔で、俺を迎えてくれるに違いねぇ。
 しかし、目を閉じると、唯の顔が脳裏に焼付いて離れない。あの豹変ぶりは何なんだよ。俺は悲しいぞ、唯。

 大丈夫、きっと朝になれば、この悪夢も覚めるだろう。

 俺は恐る恐るキッチンのドアを開け、
「お、おはよう」
 ちょっとかしこまった様に挨拶した。
「あら、おはようございます」
 相変わらずの和服に割烹着姿の涼子さんが微笑む。そして、食卓の方へと視線を移すと、そこには唯が既に座っていた。
「お、おはよう。唯」
「おはよう、お兄ちゃん。今日は唯の方が早いでしょ? ふふ」
 うおぉ~っ、はやり夕べのは夢だったかぁ!
 だよなぁ、唯に限ってそんあ事はねぇって思ってたぜ。
 今日の俺も、幸せ満点だっ。
「さぁ、朝食にしましょう」
 涼子さんが、優しい口調で言いながら、テーブルに朝食を手際よく並べた。

つづく

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Sister Syndrome 第三話

 ああ、天井が白い。

 ……白い? あれ? 俺どうしたんだっけ?

 ――しばし、記憶の整理。

 そうか、あの時、亜利未の本気パンチを食らって。

 俺は首だけを左右に動かし状況を確認した。保健室だった。そして、驚いた事に、亜利未がパイプ椅子に座っているのが見えた。寝ているようだ。

 まさか、亜利未が俺を? いくらなんでもそれは無理だな。絶対一人じゃ運べまい。真二か?

 そうこう思いを巡らせている間に亜利未が起きた。

「あれ? 起きたんだ」

「あ、ああ……」何、ちょっと照れてんだ俺。

「だいたいお前が悪いんだぞ」言いながら亜利未がそっぽを向く。

「まぁ、あれはほんの冗談のつもりで……」

「当たり前だ」向き直りながら人差し指を立て、俺の胸を突いた。

「あ、いや、その」

「まぁいい。今度やったら殺すからな」

「さぁ、それはどうかな」はぐらかしてみる。

「ぜぇ~ったい殺す」今度は中指を立て俺を威嚇。しかし、その言葉とは裏腹に、表情が柔らかいのが見て取れた。亜利未ってこんな顔もすんだ。

「兎に角、もうちょい寝てなよ。じゃ、あたしは行くから」亜利未は俺に背を向けると、その場を後にした。

「寝てろ……か」

 って、俺が黙って寝てる訳がねぇ。俺は唯の下校時間に合わせて迎えに行かなくてはならんのだ。これは、兄として使命なのだよ、悪いな亜利未。

 身体を起こすと顔面が少し痛むが、後は大丈夫だ。可愛げの無いベッドから出ると、入り口横にある鏡で顔をチェック。

「よし」赤みが多少残ってはいるが、時期消えるだろう。っしゃぁ、待ってろよ我が妹よ。

だが、まだ授業が残っている……やっぱ、寝るか。

 やっと放課後だっ! たっぷり寝て英気も養った。ここからが勝負だ。

 俺は早足で学校を跡にすると、唯の中学へと直行した。いやぁ、心が踊るとはまさにこの事、足取りも軽いぜ。

 十数分歩くと、目的の校舎が視界に入ってきた。いよいよだ……。

「お兄ちゃん!」唯は嬉しそうな顔を見せ駆け寄ってきた。俺は軽く右手を上げて、

「やぁ唯、今帰りか?」と返した。

 唯は俺の前に来ると、息を整えながら言った。

「うん、でもどうしてここに?」

「いや、ちょっと通りかかったから」

「なぁ~んだ、てっきり唯の事迎えに来てくれたのかと思ったのに」

 ちょっと残念そうに、むくれる唯。

 その表情が何とも可愛いっ! ぎゅぅっとしたいくらいにだ。

 そして俺は、笑いながら言った。

「そうすねるなよ、ホントは唯を迎えに来たんだ」

「ホント? 唯、嬉しいっ!」

 ぱぁっと明るく笑う唯が、俺に抱きついてきた。

「はっ」俺は首を左右に振り、我に返った。ヤバイヤバイ、また俺の妄想癖が出ちまった。

「ちょっとぉ、あの人さっきからニヤニヤしてて気色悪いのよ」

「うっわぁ~まじ? 先生呼ぶ?」

「やっぱ警察っしょ」

「だよねぇ」

 下校中の女子達の言葉が、俺の鼓膜を揺るがす。ちっ、手遅れか……。

 仕方ねぇ。

 俺はその場から離れ、様子を見る事を余儀なくされた。勿論、校門は視界に入っている。少し遠いが、完全な変態指定を受けるよりはマシだろう。

 ――十分。

 

 ――――ニ十分。

 ――――――三十分。

 遅い、遅すぎる。下校時間が過ぎに過ぎている。まさか、唯に何かあったんじゃ。まさか、誘拐……。ありえる、唯は誰が見ても可愛いからなぁ。

 君可愛いね。とか何とか言って、無理矢理車に乗せられて。それから……それから、営利誘拐って事はまずないだろう。俺んちは金在る訳じゃねぇし。

 やっぱ、在るとしたらイタズラ目的か。やばすぎる、こうしちゃおれんっ! 

 待ってろよ唯! 今、俺が助けに行くからな。

 大変な事になったぞ。どうする? まずは警察に連絡か? んや待てよ、連絡したばっかりに、犯人を逆上させてしまい、唯の身に更なる危険が起こるとも限らん。

 よし、ここは心配してるであろう涼子さんに、電話して不安を取り除いてやるのが男として勤めか。

 いやいや、電話口で錯乱して収拾が付かなくなったらどうする?

 ……事情を説明しないで、唯が帰って来てるかどうかだけ確かめる。うん、それが一番いいかもしれん。

 俺は走っていた足を止め、ズボンのポケットから携帯を取り出した。よくある二つ折りのタイプで、画面が横になってTVが見れる……んな事はどうでもいい。兎に角電話だ。

 数回のコール音の後、涼子さんが出た。

「もしもし?」

「あ、涼子さん?」

「はい? どちら様でしょうか?」

「あ、俺だけど」

「俺様、で御座いますか?」

 相変わらず、マジか冗談か分からない人だ。

「俺だよ、俺。分からない?」

「そう言われましても、俺様という方は、私存じないのですが」

「もう、この声で分からない?」

「……ああ」

「思い出してくれた?」

「アナタ様は、所謂、振り込め詐欺の方ですね」

 かぁ~そう来たか! まさかそう切り替えされるとは思っても無かったぜ。そんな涼子さんに乾杯。

 どうする? ……こうなったら仕方ない。

「俺だよ、ルードリッヒ」くぅ~この名だけは、自分から口にしたくなかったぁ。だが、今は一刻を争う、そんなちんけなプライドなぞクソ食らえだ。

「本当で御座いますか?」

 うおぉ~っ、完全疑われてる~。どうせ言う事になるなら、最初から言っておくべきだった。辞めそこねた大臣の気持ちが、ちょっと分かるぜ。

「ああ、正真正銘のルードリッヒだよ」くそ~二回も言う事になるとは。

「ん~左様で御座いますか。それでは、本物と仮定して、お話を進めさせて頂きます」

「は、はぁ」

 釈然としないが、話が前に進むなら、仮定でも家庭でも何でもいい。

「それで、ご用件というのは?」

「それだ、唯、唯は帰ってる?」

 聞いてはみたが、帰ってないのは明確。俺はその後の言葉を模索した。

「帰宅しておりますが、それが何か?」

「そうですか……って、はい?」

 とんだ骨折り損だぜ。

 俺は、足元にあった小石を軽く蹴った。小石は数回道路を跳ねた後、道路の端で動きを止める。取り敢えず、無事で良かった。

「ただいまぁ」

 玄関に入ると、確かに唯の靴があった。やっぱ帰ってきてんだ。

 リビングに直行してドアを開けると、唯と涼子さんが仲よさそうにお茶していた。

「あ、お帰りお兄ちゃん」

「お帰りなさい、ルードリッヒ」

「ただいま」

 二人の笑顔を見ると、さっきまでの苦労が吹き飛んで行く。ああ、やっぱり二人は俺にとって、回復の泉なのだ。そう、再認識した。

「先程なのですが……」涼子さんが、かしこまって話を切り出した。

「何?」俺は、三人掛けの椅子に座っている、唯の隣に座った。丁度、涼子さんの正面になる。

「変な電話が御座いまして」

 やっぱりぃ、俺の電話の事かぁ。ここは、白を切るしかねぇな。

「そ、そうなんですか? で、どんな電話?」

「ええ、それが変な電話なんですよ」

 だろうな、振り込め詐欺扱いされたくらいだし。

「へぇ、どんな風に?」

「ええ、今着けている下着の色を聞いきてきたんです」

「はい?」

「奥さん、今、何色のパンティ穿いてるの? って」

 おいおい、今時そんな変態いるんかよ。天然記念物だな、そいつ。

「それで、答えたんですか?」

「ええ、聞かれましたから一応……」

 こ、答えたんだ。何て律儀な人だ、この人は。

「で、何と?」

「何時も和服ですので、下着というものは着用していません、と」

 な、なにぃっ! 下着無しですとっ! それじゃ、今俺が見てる涼子さんは……涼子さんは~ノ、ノ、ノー(ぴー)って事かぁ?

 や、やばいぞ、俺の、俺の隠れた意識が、暴走しそうだっ! もう一人の俺が、脳内を駆け回り、そして、暴れん棒が目を覚ましてしまう。

 何と、健全な性少年には危険な言葉なのだろうか。

 バカ親父……俺、本当に間違いを起こさない、自信がありません。

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Sister Syndrome 第二話

 その日は眠れなかった。
 それはそうだろう、美人の母に、可愛い妹。夢が現実になったのだから。思い出すのは、和服姿とあのうなじ。ああ、妖艶だ。俺を日本人として生んでくれてありがとう、前母さん。そして、そんでもって、これからは俺はお兄ちゃんと呼ばれるんだっ。今まで兄弟が居なくて寂しかったが、これからは違う。んやぁ、毎日が楽しく過せそうだ。今こそ感謝するぞ、バカ親父。たまには親らしい事すんだな。ぐっじょぶだぜ。

 ――朝。

 とうとう一睡も出来なかった。しか~し、目覚めは爽やかだ。寝てないけど、目覚めはいい。誰が何と言おうとだ。こんなに爽やかなのは久し振りだぜ。
 俺はパジャマのままキッチンへと向かった。階段を下りると微かに味噌汁の香りがした。おお~朝はこれか、やっぱ日本人は和食だよねぇ。
「おはよう」入ると同時に挨拶をした。
「あ、おはようございます。えっと……」
 どうやら涼子さんは、俺をどうやって呼ぼうか迷っているようだ。
「俺の事は、好きに言ってもらって構わないですよ」
「そうですか、それじゃ……」涼子さんは少し考えた後、
「ルードリッヒと呼ばせて頂きますね」
「はい?」
 チョイ待て、何だよその思いっきりジャーマニーな名前は。幾ら好きに呼んでくれていいとはいえ、飛躍しすぎじゃぁありませんか?
「御嫌ですか?」困惑している俺に対して、彼女は悲しげな瞳を向ける。ぬぉぉ、それは反則だぜ。そんな瞳で見詰められたら。
「いえ、そんな事はありませんよ」と言うしかねぇじゃねぇかっ!
「よかったぁ」瞬間、涼子さんの顔が明るく華やいだ。やっぱ、君には笑顔が最高さ。ふっ……。って、俺、今日からルードリッヒなんだなぁ。まぁいいや。
「そう言えば親父は?」
「ご主人様でしたら、この手紙をルードリッヒに渡してくれと言って、今朝早くに出発されました」
 ご、ご主人様? あのバカ親父、そんな風に呼ばせてたのかよ。まさか、萌え~っとかやってねぇだろうな。やってたら、怖っ。取り敢えず手紙を確認。

『俺は仕事でコスタリカに向かう。年末には帰る。それまでは、二人をお前が守るのだ。いいな、くれぐれも間違いなぞ起こすでないぞ……さもなくば、げふんげふん』

 何故、最後があやふやなんだ? 兎に角、二人は俺に任せとけ。間違いは……自信ねぇ。
んや、それじゃ駄目だ。俺は獣か? そうじゃねぇだろ? そうだ、俺は紳士なのだ、夢幻紳士さ。
「ご主人様は何と?」
「え? ああ、コスタリカに出張だってさ」
 にしても、違和感あんなぁ。あのバカ親父がご主人様とは。
「左様で御座いますか、お忙しいですね」
 涼子さんが笑む。てか、知らなかったんかよ。
「おはよう御座います。……お母様」
 そんなやり取りをしていると、唯が起きてきた。ダボダボのパジャマには大きなラインのストライプが入っていた。少し着崩れた格好が、実にキュートだぁ。言葉使いのギャップも最高っ。朝からこんなテンションで一日やってけるんか俺。
「おはよう、お兄ちゃん」
 きた~ぁ、この至福の時が。人生最高~っ!
「おはよう、唯」
 俺はにやけた顔を悟られないように、さり気無く言葉を発した。
「お兄ちゃん、唯、お兄ちゃんにお願いがあるんだ」
 おお~何でも聞いてやるぞ。聞いてやるともさ。
「何だ? 唯」
「実は、今度行く学校に、一緒に行って欲しいの」
 そうか、唯はこっちの学校に転入する事になるんだよな。そりゃ一人じゃ心細いか。うんうん、分かるぞその気持ち。よっしゃ、俺が校門までとは言わずに、教室までも行ってやるぞ。
「いいぞ、一緒に行こうか」
「ありがとう、お兄ちゃん」唯が笑う。
「良かったわね、唯」涼子さんが微笑む。
「うん」
 何だか、この二人の場所だけ、そう、言うなればポートレートモードで撮った写真の様だった。

 唯の通う中学校は、絶滅の危機に瀕しているセーラー服だ。みんな知ってると思うが、あの服の原型は水兵さんの制服であり、襟の部分は、頭の後ろに広げて音を聞き取りやすくする為だそうだ。
 そんな便利な制服が、今では絶滅危惧種へと変貌を遂げたのは、AVの普及……。いや、たぶん違うな。
「お兄ちゃん、似合う?」
 そう言って唯が、ちょっと短めのスカートをひらひらさせながら言った。深緑のリボンと鶯色の襟にスカート。似合うぜ。似合わない訳がねぇ。
「似合うぞ唯」
「ありがと」
 っしゃぁ、いざ行かん学校へ!

 んやぁ、今朝は最高だったなぁ。教室の窓から見える空が、こんなに青かったなんて。ああ、なんて清々しい。
 これから先、俺はあんな可愛い子からお兄ちゃんと呼ばれるんだ。まぁ、涼子さんからは例の名で呼ばれるんだが……しか~し、それを差し引いても余りあるお姿、やはり俺は幸せモンだ。
「よぉ、何朝からにやけてるんだ?」
 そんな幸せ絶頂の俺に、声を掛けてきやがる奴は誰だ?
 視線だけを上に向けると、そこには真二が立っていた。
「よぉ、わが友よ」たぶん俺の顔はにやけてるだろう。
「はぁ? お前、気色悪いうえに壊れたか?」
 そんな事はないぞ。壊れるどころか、毎日、壊れた心を癒してくれる泉を……そう、あれは、回復の泉なのだ。そして、あの二人は俺にとっての女神となった。こんちくしょう。
「聞いてくれ、わが友」
 俺は真二を向かいの席に座らせると、肩をポンポンと二回叩いた。
「な、どうした一体」訝しげな表情で俺をみる真二。
「なぁ真二、アスカは元気か?」
「はい? まぁ、元気と言えば元気だが……」
「そうか、それは良かった」
「まさか、お前、俺の姉ちゃんに手ぇ出そうとか思ってないだろうな。つか、何で呼び捨てなんだ?」
「そんな事はどうでもいい」
 そうだ、真二の姉ちゃんが元気だろうが、そうじゃなかろうが、今の俺には小さな事だ。なら聞くなって? 仕方あるまい、今、俺の気持ちをストレートに伝えると、絶対叫び声から始まるのは目に見えている。なら、何か関係ない事で意識を散らす事が必要なのだ。
「どうでも良いなら聞くなよな」
「なぁ、真二」
「だから何だよ」
「お前、何時までも初号機に乗ってる場合じゃねぇぞ」
「ハナから乗ってねぇけどな」
「まぁ、いい。黙って聞け」
「いい加減にしとけよ」
 真二の期待もそろそろ限界か。否、俺の気持ちの高鳴りが限界を超えそうだ。
 もう、言いたくて言いたくて仕方がないんだぁ。
 さぁ、言うぞ真二。聞いて驚け、そして、俺の羨まし過ぎる劇的ビフォーアフターに嫉妬するのだ。あ~はははは、どうだ、凄いか? 羨ましいか? よお~し言うぞ。言っちゃうぞ。
「実はな……」言いかけた瞬間。
「ちょっと、いい?」
 ったく誰だぁ? 今、まさに俺が優位になろうとする瞬間を邪魔するのは。と、思いつつ声のした方へ視線と共に、頭を向けた。
「亜利未」
 長身でショートカットの亜利未が更に大きく見える。俺が座っている事もあるんだが、それにしたってでけぇぞ。
「亜利未……じゃないわよ。あんたねぇ、今日という今日は……」
「まぁ待て亜利未」
「何よ」
「今から俺は、真二と大事な話をしなくちゃならん」
「だから?」
「だから、今はお前の相手をしてる暇がない」
「何よそれ」
 分からん奴だなぁ。俺は、俺の幸せな時間と空間の自慢をしなくちゃならんのだ。それは、時が経てばインパクトが薄れる。そう、北海シマエビの刺身と同等なのだよ。そんな時間との戦いの中で、お前に構ってる暇なんて無いのだ!
 何故、それが分からんのだ。
「兎に角、今日は何時もより可愛いから、手を引いてくれ」
「益々、意味不明だけど」
 もう我慢ならん。俺は立ち上がり、亜利未の正面に立った。
「亜利未……俺がキスしないうちに手を引くんだ」
 言って俺は、亜利未を両手で引き寄せた。
「きゃっ」亜利未は短く言葉を発すると、次の瞬間目の前が真っ暗になった。
 衝撃が俺の顔面に広がる。星が飛び交った。ああ、あれが北斗七星。ふっ、俺の命は後三秒……。どうやら俺は、亜利未のパンチを食らったようだ。
 ああ、意識が遠くなる……。
 さらば友よ……。

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Sister Syndrome 第一話

「お兄ちゃん!」
 信号待ちをしていた俺の腕に、突然絡みついてくる少女が一人。
 身長は、そうだな……俺が一七八センチだから、丁度頭の天辺が胸の辺りに来る位だろうか。そう言えばだいたいの身長は想像つくだろ?
 それよりも、帰路に着こうとしていた所にそんな事態が起こったのだ。アイドリング中だった心臓は、一気にレッドゾーンへと跳ね上がった。
 少女は推定十二、三歳。髪は長く黒い。制服は着ていなかったが、私服の学校という事もありえる。
「やっとみつけたよ。お兄ちゃん」
「?」
 えっと、誰? 俺には妹などというものは存在しないんだけど……。と言う俺の思考を無視して少女は微笑んだ。
 っきしょ~可愛いじゃねぇかっ! そして少女は更に俺の腕に強く絡む。そう来たか。最近の子は発育が……発育が~あ~胸の感触がぁ。この世に生を受けて十七年、こんな日が訪れようとは、そう俺は彼女居ない歴=年齢。
 うぉ~もう一人の俺が、俺の暴れん棒が暴れちゃうぜ。いやいや、ここは何とかして押さえつけねば、正義の鉄槌が我に降りかかるだろうて。
 そうだ、この子の事をちゃんと思い出してみよう。きっと記憶の片隅に置き忘れてきたのかもしれない。いや待てよ、こんな可愛い子の事を忘れるだろうか? それは無いな。それじゃ名前を……ダメだ思い出せない。

 ――この間、僅か数秒。

 よし、今から君は『唯』だ。うん、何て可愛い名前だ。
「ねぇ、お兄ちゃん?」
「な、なんだ?」
 何焦ってるんだ俺は、声がうわずってるし。
「信号変わったよ」
「そ、そうだな。じゃ行くか」
「うん」
 俺たちは並んでゼブラゾーンを歩き出した。

 ガンッ! 鈍い音と共に目覚まし時計がけたたましく俺の頭上に降って来た。
「ってぇ」
 痛みと共に現実へと引き戻される感覚。
「はぁ……」
 夢か……そりゃそうだよな。俺にあんな可愛い妹が居るはずねぇし。つうか、俺って一人っ子だし。まぁ、あのバカ親父が再婚でもすりゃ、少しは現実味もあるんだろうが。アレに着いてくる女性が居るかどうかも疑問なもんだ。
「あっ」
 俺は一つだけあるモノを確かめた。暴れん棒は……夢では無かったようだ。
 っと、俺の名は……まぁ、そんな事はどうでもいいか、好きに呼んでくれていい。母さんは俺が小さい時に死んじまった、親父はサラリーマンだが、海外出張が多くて、日本には三ヶ月と居ない。実質、一人暮らしのようなもんだ。隣町に住んでいる祖母が、時々ご飯を作りに来てくれる。散歩がてら、ついでだと言って。ありがたい。
 俺は寝ぼけた頭をリセットし、何時ものように朝食を取りながらテレビのスイッチを入れた。相変わらずのニュースが画面から流れてきた。政治と金、自殺、事故、殺人等々。何故こんなにも同じような出来事が起こるのか不思議で仕方がない。ほんの数年前は、もっと心和むニュースもあったと思ったが。皆荒んできてるのかと、感じずにはいられなかった。

 ――なんてな、俺らしくもねぇ。だいたい、今日は夢見がいいんだ。

 学校までの道のりが、何時もと違うように見える。信号待ちするごとに辺りを気にしているが、周囲にはバレまい。俺は完璧主義者だからな。
「よお、朝っぱらから、何きょろきょろしてんだ?」
「何っ」
 誰だ、俺の完璧な偽装を見破る奴は。
 俺は振り返った。そこには小学校からの腐れ縁である真二が立っていた。
「お前、怪しいぞ」
「そ、そうか?」
 くそ~、少し動作が大きすぎたのか? やはり目だけを動かすべきだったのか? いやしかしそれでは死角が出来てしまう。それではオールレンジに対応出来んし。
「挙動不審で捕まるぞ」
 おお~そこまで言うのか我が友よ。
「いや、別に何でもないぞ」
「そ~かぁ~」
 絶対に何か疑っている。そういう奴だお前は。勘だけは異様に鋭い奴だからな。勝てるのか俺、いいやまだだ。まだ終わらんよ。
「まぁ、言いたくなけりゃ別にいいが、後で相談されても知らないからな」
 ぬおぉ、早くも最終兵器登場か? 今まで散々相談役を買って出てくれたからなぁ。
 どうする? そうする? 言っちゃうか?

 俺は道中、夢の話を話した。かなり不本意ではあったが、先読みの何とかとしては、先手を打つのが得策と考えたからだ。だが、
「あはははははは」
 これでもかって言うくらいな大声で、真二がバカ笑いした。
 校門が近い。登校している生徒も多数居たが、そんな事はお構いなし。そりゃもう、教室に居る生徒にも聞こえるぞって位に大声で。
「お、おい。そんなに可笑しいかよ」
「おっかしいよぉ。お前、シスコンか?」
「べ、別にそんな事はないと思うが」
「言い切れるか? それとも欲求不満かもな」
「うぐっ」
 これは否定出来ん。俺も健康な男子。エロい事の一つや二つあるってもんだ。
「まぁ、そんな現実離れした夢よかさ、あいつともっと仲良くした方がいいんじゃね」
「あいつ?」
「またまた、亜利未だよ」
「ああ……あいつか。あいつはダメだ」
「何でさ、いっつも仲良さそうにじゃれてるじゃん」
 亜利未は俺のクラスメイトで、クラス委員長。何かとつっかかってきては文句を言う。と、ここまで言うと、やっぱ気があんのかと思うが、実は俺、副委員長だったりする。面倒なんであんま活動してないから、その辺が気に入らないんだろう。
 女のくせに、とか言ったら差別だっ! って猛抗議と共に、蹴りが飛んできかねないが。亜利未は俺と身長がそんな変わらない。それで空手なんぞやってるもんだから、素人の俺なんてかなうはずも無い。
「亜利未は俺がサボるから、いっつも文句つけてくんだよ」
「へぇ~そんな風に見えないけどな」
「ふっ、まぁいいけど、兎に角俺とあいつがそんな関係にはならんよ」
「そうかい?」
「何だよ、その疑わしい返事は」
「別に~」
 ニヤニヤと笑う真二を他所に、俺は視線をそらした。
 そして、俺達は校内へと、舞台を移したのだ。

 校内に入り教室に行くと、真二のバカ笑いを聞いていた輩が集まってきた。
「よう真二、何朝っぱらから大声で笑ってたんだ?」
「そうだそうだ、何か面白い事でもあったか?」
「ムーディーが新曲でも出したか?」
「あれじゃあんだけ笑えないだろ。シュール過ぎ」等々。
 そんな奴らの言葉を、それこそ右から左に受け流す様に真二が言った。
「それがよぉ、こいつ」言いながら俺を前に押した。「夢の中で……」
 続きを言いかけた瞬間、俺は後頭部を思いっきり後ろへと振る。
 ゴッ、鈍い音が鳴り、俺は後頭部を、真二は鼻の辺りを押さえて蹲った。
「何だよ夢って」
「まぁ、大方檄エロの夢でも見たんじゃねぇの?」
「あははは、そうかそうか」
 お前等~何勝手に決め付けてるんだよ。全く違うとは言い切れないが、それでも激はねぇだろ激はっ!
「ちげぇよ」俺は頭を押さえつつ反撃したが、その言葉は既に効力を失っていた。
 まぁ、いいわ。好きに言ってくれてよ。で、俺の後頭部頭突きを食らった真二は、未だ鼻を押さえて何やら言っていた。
「おふぁえなぁ」
「はぁ?」予想は付くが、あえてとぼけてみる。つうか、俺があんな夢を見て、しかも暴れん棒も暴れたとあっちゃ、末代まで祟るぞってくらいの勢いで広まり伝説になっちまう。それだけはあっちゃぁならねぇんだよ、おっかさん。
 俺が真二を睨み付けると、彼はウンウンと首を立てに振った。よしよし、それでいいんだ。俺も軽率だった。逆の立場なら絶対言いたくなるもの。

 その日は、何事も無く……とは行かなかったが、それなりに交わして過した。
 ありみが絡んできたが、それは何時もの事だ。

「はぁ……」安堵の溜息が自然と漏れた。やっと、最後の授業が終わった。乗り越えたぜ。おめでとう俺。
 とっとと帰って、今朝の夢は忘れよう。真二の事は不安だが、それこそ信じるしかねぇ。

 ――自宅。

 玄関に入ると、何時もはしない人の気配がした。ふっと下を見ると見慣れない靴が三組あった。誰だ? 一つは男性用。これは親父のだな、見たことある。もう一つは女性用、そして最後は子供用?
 何れにせよ、親父が帰って来ている。それは間違いない。
 リビングの戸を開けると、ソファーに座る親父の顔が正面にあった。
「よぉ、バカ息子。元気か?」
 おい、久し振りに会う息子に向かって、開口一番それかよ。
「実はお前にな、紹介したい人がいるんだ」
 って、何だよその展開。急すぎやしませんか?
 リビングにある応接セットは、部屋の真ん中にあって三人掛けの椅子と、一人掛けの椅子が二組。そして、木製のテーブルが間にある。親父は一人掛けの椅子に座り、俺に向かって右手を上げていた。
 長椅子の方へと視線を移すと、そこには女性が二人座っていた。一見して母子だと分かった。母親とみられた女性は、和服が似合い、品があって到底親父とは釣り合わない感じだ。大和撫子という言葉は、こういった人に使うとしっくりくる。そして、隣の……。
「ああ~っ!」俺は思わず叫んでしまった。「唯(仮名)ちゃん」続けて出た言葉がそれだった。
「何だお前、唯の事知ってるのか? そりゃ話が早い」
「ちょい待てバカ親父。普通に考えたら知ってる筈ないだろうがっ」
「そうなのか? でも名前知ってたろ?」
「そうだけどよ」まさか、夢に見たとは言えないし。
 そんな親父とのやり取りをみていて、母子共に笑っていた。母親の方は軽く口に手を当て、微笑む感じだ。何て上品な。そして、その娘も、可愛い笑顔。ああ、夢に見た笑顔とおんなじだよ。
 感動の波が、俺の心に押し寄せてくる。そう、こりゃサーフィンでも出来そうなってくらいのビックウェーブが。
「まぁいいから座れ」
 何がいいのかさっぱりだが、俺は親父の隣の椅子へと腰を下ろした。
「で、何となく察しはつくが、誰なんだ?」
「喜べ、新しい母さんと妹だ」
 やっぱりそうか。俺は高鳴る鼓動を抑えつつ、冷静さを保つように勤めた。
「こっちが、涼子」親父が自分の正面の女性を紹介した。「よろしくお願いします」涼子さんが軽く会釈した。名は体を表すとはよく言ったもんだ。
「そして、隣が唯だ」
「よろしくね。お兄ちゃん」
 うおぉ、やっぱ可愛いぜっ。出来るなら、この場で万歳三唱したいくらいだ。

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