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2008年12月

迷霧の陥穽 第七話

 京平は不思議な感覚に襲われていた。腕に酷い激痛が走ったかと思うと、それは直ぐに和らぐ。次には足に来たかと感じると、また同じ様に和らいで行く。

 そんな感覚が、身体全体に及ぶ。その部分を確かめようにも、漆黒の闇が京平の身体を囲み、視界には入らないでいた。いくら目を懲らしても、一分の光が無い場所では徒労に終わる。「目で見るな、感じるんだ」なんて台詞を言っていた映画を思い出したが、感じるのは奇妙な感じだけだった。

 自分の身体に四肢が残っているのかすら、分からなかった。指先に力を込めるのだが、動かせている感覚はまるでない。握ってもみた、しかしその指が手の平に当たる感じも、また無かった。

 京平の脳裏に一つ浮かんだのは、もしかすると既に四肢は切断等で失われているのでは? と言う事だった。

 だとすれば、今までの行為は全てにおいて無意味だと思い知られる。

 何故、自分はこんな所にいるのか?

 ここは何処なのか?

「くそっ、瑞穂の奴」

 短く舌打ちをする。その舌打ちでさえ、暗闇に吸い込まれて行く。

 沸々と怒りという感情が、京平の中に込み上げてきた。

「瑞穂の奴……瑞穂め」

 憎悪で自分の顔が歪んでいる。それははっきりと分かった。

「オマエ……」

 不意に声が聞こえてきた。聞こえたと言うよりは、直接脳を刺激してくる。そんな不快な感じがした。

「誰だっ!」

 京平は声がする方へ、言葉を投げた。

「オマエノ、タマシイハ……ヨミニカエサレル」

「??」

 唐突にそんな言葉が返ってくる。当然京平には何の事かさっぱり分からなかった。

「オマエハ、アノムスメノミガワリナノダ」

「はぁ? 身代わり? あの娘だって?」

 疑問符が次々と沸いてくる。

「アノムスメハ、オマエヲミガワリニシタ」

「……何の事だ! お前は誰だ!」

「ワタシハ、バンニン……モンノバンニン」

「番人だって? ははは、何だよそれ」

「オマエハ、カエレヌ」

「帰れないだって? どういう意味だ!」

 そう言った京平の言葉に対しての返事は、その後聞こえてくる事は無かった。だが、はっきりした事が一つだけあった。それは、この事態が全て瑞穂の手によって成されたという事である。

 

 幾分、暗闇に目が慣れてきたのか、瑞穂の視界が先程より開けた感じがしていた。隣に座る少年の表情もはっきりと分かる。

「私ね、事故だったの」

「?」

 瑞穂の一言は、健一に疑問符を与えた。小首をかしげ怪訝そうな顔をする。

「あ、ごめん。私、ついこの前まで意識が無くてね」

「え? マジで? そんな感じに見えないけど」

 健一は興味が無いのか、ぶっきらぼうに答えた。だが、瑞穂はそのまま話を続ける。

「でも、何ていうか。意識だけは何処か遠い所にあって……そんな不思議な感じがしてた」

「幽体離脱ってやつ?」

「さぁ、私には何とも言えないけど」

 手に持っていた炭酸飲料を口に運び、微笑んでみせた。健一は「ふぅん」とつまらなさそうに口を尖らせる。幽体離脱なら不思議な話だが、それが単に夢の話だとすると興味は一気に削がれるからだ。

「でもさ、お姉ちゃん怪我とかしてなさそうだけど?」

「え?」瑞穂はそう言われて、自分の身体をあちこち見て回った。薄暗い中で、

それは傍から見れば、マリオネットの様に写ったかもしれない。

「そ、そう言われてみればそうかも」

 改めて見たが、かすり傷が左ひじにあるのと額の左上にガーゼが貼り付けられている程度で、後は外傷らしい物は皆無だった。

「どんな事故か知らないけど、奇跡なんじゃない?」

「どんな……事故?」

 自分はどんな事故でここに運ばれてきたのだろうか。そう言えば聞かされてない。と言うより、記憶が曖昧なのだ。

「どうしたの?」

「え? あ、いや、何でもない」

 言って数秒、瑞穂は自分の中にある記憶を辿ってみた。

 変な封筒が届いて。それら、その中身を見て……京平に電話をして……。

「京平……」

「え? 誰?」

「え?」

 口に出た名前だが、今一ピンとこない。記憶が断片的で、整理しきれていないと言った方が正しい。『京平』という名前には、懐かしさがあると同時に罪悪感が僅かに込み上げて来る。そんな感覚が含まれていた。

「それって、カレシ?」

「ち、違うわよ」

「そうなんだ」

「そうよ、私の彼氏は……彼氏の名前は……」

「名前は?」

「えっと、内緒よ」

「何だよそれ。期待させといてさ」

「うふふふ」

 とは言ってみたが、瑞穂の脳裏に彼氏の名前が浮かんで来なかったのである。必死に思い出そうと努力はしてみたが、その輪郭さえおぼろげな姿だった。

 一体どうしたというのだろう、自分の記憶がある所と無いのが入り混じっている。事故の後遺症……そう楽観的に片付けるのは簡単だったが。瑞穂自身、そうすんなり受け入れられるものではない。

「で、どうして入院してるの?」

 健一の質問が耳に届いた。コーヒーを一口運び、足を組みかえる彼の姿があった。

「えっと……」

 右手で口を覆うような仕草をし、瑞穂は視線を上方へと向けた。断片的にある記憶を再び整理する。隣では少年が無言のまま、瑞穂が次の言葉を発するのを待っていた。

 

 ――しかし。

 

 自分が何故入院してるのか……そもそも、自分が事故で入院してるのかさえ曖昧だった。

「ごめんなさい」瑞穂は素直に謝った。

「え?」

「何か、思い出そうとすると頭が重くって」

「あはは、いいですよ。きっとまだ本調子じゃないんですよ」

 健一は軽く笑って言った。瑞穂は申し訳なさげに「ありがとう」と一言言い頭を下げた。

 

 瑞穂は自室に戻ると、ベッドの上で天井を見上げながら思い返していた。

 何故思い出せないんだろうと。明日、両親に直接聞くという手もあるのだが、気になって眠れそうもなかった。

 寝返りを幾度か繰り返し、時計に目を向けた。夜明けにはまだ遠かった。ふっと溜息をついて瞼を閉じた。

 それから少し経って、何かの気配で瑞穂は再び瞼を開いた。辺りは未だ暗く、あれから幾分も経過していない事がすぐに分かった。

「!!」身体を起こそうとした瑞穂だったが、自由が利かない。金縛り? そう彼女は直感した。動かせるのは両目だけ。一気に恐怖心が全身を包み込む。

「んっ」右手に力を入れるが、ピクリとも動かない。

 鼓動が高鳴り、呼吸も荒くなってくる。

 息が苦しい……。

 こんな感覚は今までに味わった事が無かった。半ばパニック状態になってきてるのを、瑞穂は感じていた。

 足元へ視線を向けると、そこには確かに何か居た。それが何なのかは分からなかった。人方と言えばそう見える、濃い霧のようなモノがぼんやり見えていた。目を凝らしても、それはユラユラと揺れ定まった形を成さない。

「何なのよ」声には出なかったが、瑞穂の唇がそう順番に形作った。

 薄ぼんやりとした影は、しだいに一つの形を形成していった。

 やはりと言うべきか、それは明らかに人の形を成していた。

「……やぁ、瑞穂」ソレはそう言葉に出した。

 驚きと恐怖の中、見えた姿は……京平だった。

 

 

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