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2008年2月

迷霧の陥穽 第三話

 緩やかな坂道が続いていた。数歩先に瑞穂が、短いスカートをゆらゆら揺らしながら京平の前を歩いていた。

「善は急げって、これからか?」

「そう」

 無邪気な笑顔で瑞穂が答えた。窓からは幾分か風が入ってくる。

 ほんの数秒、いや、本当はもっと長かったのかもしれない。

「……分かった」

 京平は、ふっと息を吐くと半ば諦めた表情を見せ、言った。だが、内心は瑞穂と一緒に居られる喜びが大きかった。

「それじゃちょっと用意してみるよ」

「え? 何を?」

「何を? じゃなくて、手ぶらで行くつもりだったのか?」

「へ?」

 きょとんとする瑞穂。手ぶらで行くつもりだったようだ。やれやれ、といった感じで京平は立ち上がり。

「兎に角、ちょっと待ってな」

 言いながら瑞穂に座るよう促した。彼女は逸る気持ちを抑えつつ、その場に座る。

 京平は、机の引き出しを開けたり、押入れに顔を突っ込んで、薄暗い中を見たり。そして、時々下へ降りても行った。その様子を瑞穂は興味深げに、黙って見ていた。

 数分後、京平はテーブルの上にあった二枚の地図を除け、用意した物を並べた。

「とりあえず、これ位はいるだろう」

 京平が用意したのは次の通りだ。ペン型ライト二本、予備の電池、手動式懐中電灯、油性マジック、引越し用ビニール紐。そして、少しばかりの食料とタオル。

「重装備ね」

 瑞穂は悪戯っぽく笑った。

「瑞穂も着替えに一旦帰った方がいいんじゃないか?」

「え? どうして?」

「って、ほら……」

 京平は、瑞穂の胸元から下半身に向けて視線を落とした。それに気が付いた瑞穂は、

「えっち」と一言。

「あ、いや」

 京平は言葉に詰まり、視線を用意した品々に移した。

「冗談よ」

「え?」

「こんな格好で洞窟探検するのか? って事でしょ?」

「あ、ああ」

「大丈夫、ちゃんとスニーカー履いて来たし、それにスパッツも、ね」

 言いながら再び立ち上がって、スカートをまくって見せた。京平の前に綺麗な足が、またも飛び込んできた。

「な、何見せてんだよ」

「ふふふ」

 照れまくる京平を見て、瑞穂は笑った。

 坂を上る度に、背負ったザックが京平に擦れた。中に入れた荷物が揺れる。じんわりと汗も滲み、不快感が増えてきていた。

 坂の多い町は情緒があっていい。と、言うのは観光客くらいなもので、住んでいる地元の人間にとっては不便でならない。

 京平達が向かっている場所と反対側の山には、展望台があり、夕方から日没にかけて観光客やカップルが訪れる。この町の夜景は有名で、観光雑誌でも何度か紹介された程だった。しかし、そんな事よりも京平の頭を悩ませる事があった。

 瑞穂の『彼』の存在だ。何故自分なのか、彼の元には『地図』は届いてなかったのだろか? それを瑞穂か確認したのか? それとも、二人は既に……。

 自分に都合のいい考えは、その殆どがその通りにならないのが、世の常である。しかし、そう考えてしまうのは、京平が瑞穂に好意を寄せているからに他ならない。

『もしかしたら?』そんな想いが過ぎったのは、彼女が京平の部屋に来たときからだった。

「なぁ、瑞穂」

 京平は歩を止め言った。

「ん?」

 瑞穂が振り返る。

「ちょっと休もうぜ」

「何、疲れたの?」

「ま、まぁな」

 本当は違った。京平は疲れてなどいなかった。ただ、聞きたい事があったのだ。『もしかしたら?』を確かめたいと思った。

 数メートル先に居る瑞穂に向かって、京平はゆっくりとした足取りで、坂を登っていった。瑞穂は、それを柔らかい笑顔で見詰めていた。

「やっぱ坂道は厳しいな」

「もう、だらしないわね」

「はははは」

「仕方ないから、もうちょっとゆっくり歩いてあげる」

「そうしてくれ」

 京平は、今一度額の汗を拭うとザックを背負いなおした。

 今度は二人並んで歩いた。坂道は尚も続いている。

「ねぇねぇ、宝ってどんなんだと思う?」

 京平の右側を歩いている瑞穂が口を開いた。

「え?」

「宝よ、タ・カ・ラ」

「ホントにあんのかなぁ」

「あるわよ」

 言い切る瑞穂。何処からその自信が沸き上がってくるのか、京平は不思議に感じた。出所不明、こじつけに近い形で目的地を特定。そして、そこに存在してるかどうかさえ怪しい洞窟。どれを取っても不確定要素ばかりなのに、彼女は揺るぎない瞳で京平を見る。

「それとも、京平は信じてないわけ?」

「ん~ぶっちゃけ、半信半疑」

「え~っ、そうなの~っ」

「はははは」

「でも、私はあると思うな、絶対」

 こんな他愛ない会話でも、今の京平には幸せだと感じられた。好きな人と一緒に、同じ空間、時間を共有出来る。こんな至福の時を過ごせるなんて、あの地図には感謝しなくては、そう京平は思っていた。

 坂道が終わり、多少平坦になった。二人の背後には、見慣れた町並みが広がっていた。陽は頂点から少し傾いたが、まだまだ高く二人を容赦なく照りつけていた。

 しばらく歩くと、それほど高くない山が見えてきた。地図上で仮定した場所の近くだった。とは言え、距離はまだ大分ある。

「あの辺じゃない?」

 瑞穂がそちらを指さした。

「おおぉ、やっと見えたかぁ」

 京平も視線を前方へ移した。

 二人が目指す山には、小さな神社があるはずだった。名前は? と聞かれても急には思い出せない程の神社。何を祀っているのかさえも分からない。いや、単に京平が知らないだけなのかもしれないが、それ程に印象が薄かった。

「瑞穂」

「ん?」

「ちょっとコンビニ寄らねぇか?」

「いいけど、何で?」

「水分補給」

 京平はニカッと笑うと、ザックを背中から引きはがし左手に持った。

 二人は途中にあるコンビニに立ち寄った。オレンジの帯に、鳥の形が白く抜かれている店は、地方に強い、と、京平は勝手に決めていた。オリジナルブランドの品物も多く、他店との違う展開も個人的に好きだった。

 店に入り、京平はまっすぐガラス張りの冷蔵庫へと向かった。瑞穂もその後に続く。左から右へと、横移動しながら中を覗く京平。右端まで行くと、踵を返し中央付近まで戻り扉を開けた。

「やっぱコレは外せないよな」

 手に取ったのはスポーツドリンクだった。

「瑞穂はどれにする?」

「同じのでいいよ」

「そっか」

 京平は同じ物を四本手に取り、レジに向かった。

 店を出るなり、京平は買ったばかりの一本の蓋を開けた。そしてそれを口へと運ぶ。

「んやぁ、生き返るねぇ」

 一気に三分の一を流し込んで一息つく京平。その光景を瑞穂は笑いながら見ていた。

「じゃ、行くか」

「うん」

 再び二人は歩き出した。

 古びた鳥居が二人を見下ろしている。柱は色が剥げ、赤色がまだらになっていた。鳥居の先には階段があり、上に伸びていた。ただ、雑草等は殆ど見あたらず、誰かが管理しているのが見て取れた。

「ただの神社だな」

 京平が辺りを見回して言った。

「そうだね」

「まぁ、怪しいと言えば怪しいけど」

「取り敢えず上に行ってみましょう」

「ああ」

 京平が一歩先行く形で、二人は段差の低い階段を上っていった。両脇には木々が高くそびえ立ち、強烈な日差しを和らげていた。

「なぁ、瑞穂」

 京平は、足を止め、振り返り言った。

「ん?」

 瑞穂は、京平を見上げ同じように、歩を止めた。

「えっと……その……彼氏とは上手くいってんのか?」

 言い終わって、鼓動が高鳴るのを京平は感じた。息が詰まった。喉がカラカラに乾いた。だが、言ってしまった。後戻りは出来ない。

 瑞穂は、ややあって微笑むと、「うん」とだけ一言言った。

「そっか……よかったな」

「うん」

 京平の『もしかして?』はこの時終わった。世の中、自分の描いたシナリオ通りにはいかない。それを思い知らされる結果が襲ってきたのだ。京平は大きく息を吐くと、笑った。

 そして――。

「がんばれよ」

 と、一言言った。

「うん」

 瑞穂の屈託無い笑顔が、京平に突き刺さった。

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迷霧の陥穽 第二話

 瑞穂の申し出に、京平は意外な顔を見せた。こんな何処の誰とも知れない地図、全てが嘘かもしれない、逆に本当かもしれない。そんな不確かなモノを持って、その示す場所を探そうと言うのだ。

「マジで言ってる?」

「うん」

 瑞穂はにっこり笑うと、大きく首を縦に振った。意外な展開と言うのはこういう事をいうのではないか? 京平は今そう感じていた。

 二人は改めて、それぞれに送られてきた地図の検証に入った。まずは京平に送られてきた地図。何処かの町だと言うことは見当が付いていた。

「ねぇ、地図ってさ普通横長だよね」

 そう言って瑞穂が京平の地図を横にした。上下は未だに不明だが、お互いに向かい合っているので、そのどちらかが正面と仮定出来る。続けて彼女は、中央を分けるように曲がりくねった一本の線を指さした。

「仮にこれが川を表していたら?」

「川?」

「そう、川よ」

 京平はその言葉を興味深く聞き入った。

「川……か」

「だとするとさ、私達の住む町と似てると思うんだ」

「は?」

 京平達の住む町に川は存在していない。いや、ごく小さな名も知れない川はあったが、眼前にある地図とはかけ離れている。第一、町の中央部を横切る程の大きな川なら、流石の京平でも気が付いただろう。

「何処が似てるんだよ。この町に川なんて無いぞ」

「何言ってるのよ。在ったのよ……昔」

「昔?」

「そう、もう三十年以上も前の話だけど」

「?」

 どうしてそんな事を知っているのか、京平の脳裏にそう浮かんだが、それは直ぐに記憶の片隅に追いやられた。あまりにも自信ありげに言う瑞穂に、納得してしまったからだ。

「それじゃ、これが川だとして、この地図の向きは」

「私の方が正位置ね」

 瑞穂から見てその地図は、中央を分断するように川が流れ、下部が平野になっていた。そして、上部左右に丘と言うか、山と呼ぶに相応しい地形になっていた。問題の印は、右側の、丁度山と平野部の境目に付いている事になっていた。

「今、ここはどうなってたっけ?」

 瑞穂に問われて、京平は町の風景を思い出し、道を辿っていた。

「げっ」

「どうしたの?」

「ここは……一樹んちの近くだ」

「誰だっけ?」

「えっ!」

 また意外な返答が来た。そう京平は感じていた。同じ学校に通い、そして金持ちのボンボン。今時、ボンボンという言葉が適切かどうか分からないが、京平の中ではそれが当たり前だったのだ。

「知らないのか?」

「まぁ、何となくは分かるような気がするけど。あ、ねぇ君たちぃ、どうしたんだい? ベイビー、とかって言う?」

 前髪を掻き上げ、瑞穂は悪戯っぽく笑った。この表情は知ってるな、と京平は思った。だが、そんな事は関係なく、京平は一樹の事が嫌いだった。半ばひがみにも似た感情なのだが、金持ちでしかも美男子、今風ならイケメン。

 家も旧家で大きく、しかも町を見下ろすかのような場所に建っているのも、一層その感情を増幅させていた。

「そんな風には言わないと思うが、でも雰囲気はそんな感じだよな」

「でしょ?」

 そして今度は二人で笑った。

「でもあいつって、印象薄いよなぁ」

「ほらあの人って暗い感じだし」

「まぁ、あれで社交的だったら誰も対抗出来ないよ」

「見た目はかっこいいしね」

「そうだな」

 京平は少し苦笑いした。『見た目はいい』その言葉に嫉妬したのかもしれない。人は見た目じゃない、とは言っても一番最初に情報として入ってくるのは、はやり見た目なのだ。内面までは、その人物と付き合ってみなくては、誰も分からず、知らず。そして、理解出来ないのだから。

「どうしたの?」

 視線を伏せたのが分かったのか、瑞穂は疑問符を京平に投げかけた。

「いや、何でもない」

「そう、ならいいけど。それより早速行ってみない?」

「え?」

「善は急げって言うじゃない?」

 瑞穂がすっと立ち上がった。形の整った綺麗な足が、京平の正面で揺れる。視線を上に向けると、そこにはやる気に満ちた瑞穂の笑顔があった。

 記された場所は、京平の自宅からさほど遠くはない。

 とは言っても、この猛暑だ。歩を進める度に汗が身体のあちこちから吹き出てくる。地図の縮尺率は不明だったが、知らない町ではない。ある程度の距離は把握出来た。

「やっぱ外は暑いなぁ」

 言ってどうにかなるはずもない、と分かっていてもつい声にだしてしまう。そんな京平とは対照的に、瑞穂は涼しい顔で前を歩いていた。

「当然でしょ、夏なんだから」

「そりゃそうなんだけどさぁ」

 京平は軽い溜息を混じらせ、額の汗を左手で拭った。

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迷霧の陥穽 第一話

 庭先に吊られた風鈴は、早朝に数回揺れただけだった。青と赤の色が、渦を巻くような模様が入ったガラスの笠は、如何にも涼しげな印象を受けるが、それとは対照的に気温は上がり続けた。

 僅かな風を取り入れようと、家中の窓という窓は全て開け放たれていたが、その殆どは無意味に終わっている。

「あぢぃなぁ」

 半袖のシャツに、七分丈のズボン。京平は、茶の間に置いてある扇風機の前でぼやく。

 人工的に作られる空気の対流はあるのだが、生暖かい風しか届かない。額を伝う汗が、その風で後方に向きを変える。身体にまとわりつくシャツが、不快に感じた。

「母さん?」

 茶の間の奥にある台所で、洗い物をしている母、恵子に話しかけた。

「ん~?」少し不機嫌そうな声が返ってきた。

「エアコン買おうよ」

 こう毎年暑くては、何もやる気が起きない。高校に入って二回目の夏休みも、既に後半に突入していた。が、課題はおろか、ろくに出かける事もしていなかった。

「何処にそんなお金があるのっ」更に不機嫌な恵子の声がした。

「今時エアコン無いのなんて、うち位なもんだぜ」

「だから何? 他人は他人でしょ」

「でもよぉ、最近のは安いし」

「そこまで言うんだったら、アンタが買いなさい」

 洗い物を終え、恵子がエプロンで手を拭きながら茶の間に出てきた。そして、溜息混じりで続ける。

「だいたい、バイトもしない、勉強もしない。文句だけは一人前ってどうなのっ」

「でもよぉ、暑いんだよ」

 京平は扇風機を背にし、仁王立ちの母親を見上げた。右手を腰に当て、また一つ溜息をつく恵子。確かに、自分でもこの頃は暑いと感じてはいたが、敢えて意識しないように心掛けていた。暑さ対策もそれなりにしてきたつもりだ。背中まである長い髪は、出来るだけまとめ、服装もいやらしくならない程度に薄くした。最近では、長年手入れをしてきた髪を、切ろうかどうか迷ってさえいると言うのに……このバカ息子は、エアコンが欲しいと言ってのける。

「ったく、贅沢は敵よ。馬鹿言ってないで、郵便取ってきてちょうだい」

「え〜何でだよ」

「いいから早く」

 京平は渋々と身体を起こし、玄関へ向かった。

 銀色でアルミ製の郵便受けが、門に取り付けられていた。正面から蓋を上に跳ね上げると、中には新聞と数通の郵便が見える。

「父さん、新聞忘れてるし」

 京平は新聞を小脇に抱えると、入っていた郵便を一枚づつ確かめた。その殆どが請求書の類だった。が、その中に妙な封筒が混じっていた。

「?」

 何処にでもあるような茶封筒で、裏には差出人の名前が無い。京平は表を返し宛名を見る。

「俺宛?」

 封筒には、京平の名前が書かれていた。ただ、住所も切手も無く、名前だけが書かれた奇妙なものだった。小首を傾げながらも、京平は家に戻った。

 新聞と郵便を茶の間のテーブルに置き、例の封筒を持って二階の自室へ向かう。

 大きく開けられた窓からは、相変わらず風が微塵も入ってこなかった。蝉の声が一層五月蠅く感じられる。京平は、窓の側にある机の上へ、一旦手に持った封筒を無造作に置くと、腕を組み、少し左斜めになった封筒をジッと見つめた。

 ふっと一つ溜息をつき、右奥に置いてあるペン立てからペーパーナイフを抜いた。再び封筒を手に持ち、ペーパーナイフを入れ、封を切る。注意深く中身を見ると、そこには四つ折りになった紙が入っていた。京平はそれを取り出し、ゆっくりと机の上に広げた。

 少し茶色がかった紙、古ぼけた感じの『細工』を施したと見て取れる。なんて幼稚な、京平はそう思った。A四より大きめの紙には、町の地図とおぼしき物が記されていた。

「何だ?――これ」

 再び腕を組み、その地図をジッと見つめた。が、その答えは一向に出るはずもなく、ただ時間だけが、虚しく蝉の声と共に消えていった。

 誰かの悪戯だとしても、意味が分からない。京平は、その地図を横にしたり縦にしたり、そしてまた上下逆さにしたりと、あらゆる角度から眺めた。何処となく見覚えはあるのだが、確信が持てなかった。

 それから数分後だろうか、机の上で充電中の携帯電話が、震えながら着信音が鳴った。京平は一端地図の事は忘れ、携帯電話を手に取った。

「!」

 着信表記を見て、京平は驚いた。『真鍋瑞穂』の名が記されていたからである。彼女は、入学当初から、京平が密かに想いを抱いていた女性でクラスメイトだった。以前、学校行事で一緒に役員をやった時、互いの電話番号とメールアドレスを交換した。だが、それが終わるとぱったり連絡しなくなった。理由が無くなったからだ。自身、何か理由が無ければ話すという行為が、何処か気恥ずかしいとも感じていたからである。『勇気』が無い。と、言われれば否定は出来ないが、その勇気を振り絞る時が遅すぎた。彼女は上級生の『彼』が出来てしまったのだから。

 その彼女から、今こうして連絡が来ている。嬉しさと不安の入り交じる中、京平は左手の親指で通話ボタンを押し、電話に出た。

「もしもし?」

「あ、もしもし京平?」

 気さくな態度が見える口調で、その懐かしい声が聞こえてきた。

「あ、ああ……久しぶりだね」

「そうね、元気だった?」

「まぁ、ぼちぼち」

 落ち着いた口振りで答えるが、手にはしっとりと汗が滲んできていた。

「でね、久しぶりであれなんだけど」

「ん?」

 京平は思った。『あれ』とは一体何なのか。何気なく使う日本語であるが、深く考えればその意味は不明に近い。だが、そんな思いはお構いなしに瑞穂は続きを発した。

「えっと、ちょっと相談事があったんだけど」

「相談?」

「うん」

 瞬間、心臓の鼓動が跳ね上がった。彼氏ではなく、自分に相談事……自分が瑞穂にとって特別な存在なのでは? そう感じずにはいられなかった。京平は左手に持った携帯電話を右手に持ち替える。

「あのね、変な話なんだけど。京平の所に、封筒届かなかった?」

「へ?」

「封筒よ、茶色くて差出人不明なの」

 言われて、思い当たる物が、今まさに自分の目の前でさらけ出されている。そして、同時に、相談と言われた事がこの封筒に関係があるのだと気が付かされた。急激に鼓動は下がり、浮かれた気分は冷めていった。京平は、封筒を手にとって言った。

「ああ、あるけど」

「うそ! あるのっ?」

驚きの声が、受話器を通して鼓膜を揺らした。

「嘘言ってどうする」

「そりゃそうよね。でさ、中身は何だった?」

「え?」

「中身よ。何が入ってたの?」

 急かすように瑞穂が言葉を並べた。中身を確認してないのだろうか? 京平はそう思った。

「古ぼけた町の地図が入ってた」

「え? 私のと違う……私のは何かこうウネウネした感じで」

「ウネウネ?」

 必死にジェスチャーしてるであろう姿が、京平の脳裏に浮かんで、それが少し滑稽に思えた。

「ん~何て言うかな……そだ、これから京平んとこ行ってもいい?」

「え?」

「見せた方が早いもの。それじゃ、そゆ事で」

「あ、瑞穂」

 言ってはみたが、既に通話は切れていた。京平は電話を机の上にある地図の横に置き、椅子に背もたれに身体を預け、天井を仰いだ。

 約三十分後、瑞穂は京平の部屋に居た。

 彼の部屋には小さなテーブルがあり、二人は向かい合う様に座っていた。そのテーブルに広げられた互いの手紙。瑞穂は、興味深げに京介に届けられた手紙を手に取った。

「へぇ、京平のはまんま地図なのね」

「まんまって」京平は苦笑した。

「だって、町内マップみたいだし」

 笑う瑞穂。町内マップ――それは京平も感じていた。だが、それが何処を記したのかさっぱりなのだ。方位を示す記号も無い。一つだけあったのは、妙な二重丸の印。瑞穂もその印には直ぐに気がついた。

「何の印だろうね。コレ」

 右手人差し指を指す瑞穂に、京平は、「さぁ」と首を傾げるだけだった。

「でさ、私のやつ見てみてよ」

 瑞穂は自分の持ってきた手紙を京平に見るように即した。彼女が持ってきた物も、京平のと同じく、何処かしら細工されているのが見られた。紙は薄く、少し黄ばんでいる。肝心の中身だが、確かに電話では説明が困難だと京平は思った。大きさは、京平に送られてきた物とほぼ同等で、紙面を埋めつくようにうねうねとした曲線が描かれていた。

「何だと思う?」

「ん〜ぱっと見は、洞窟か何かの地図って感じだけど」

「え?」

「よくやったゲームで似たようなの見た事あるし」

 京平の言葉に驚く瑞穂。普段ゲームなんてやらない瑞穂には意外な答えだったのだ。

「ゲームねぇ」

「何だよ」

 何だと聞かれて、感じたままを言っただけなのに、真っ向から否定された格好の京平。多少憤慨しながらも言葉を続けた。

「でも、ホント似てんだよ」

「ふ~ん、でもさ、仮にそうだとして何の為にこんなモノを?」

「さぁ……でもさ、こう考えたらつじつまは合うぞ」

「え? 何々?」

「例えばだけど――」

 京平は二つの地図を並べて、自分の立てた仮説を語り出した。

「俺の地図が何処かの町の地図で、瑞穂のが洞窟」

「うん」

「で、俺の地図上の二重丸がその洞窟の場所だったら?」

「え?」

「だからさ、この地図は二つで一つって事さ」

「!」

 大胆な仮説に一端感心した瑞穂だったが、大胆さ故の疑問も多い。

「でもさぁ」

「何だよ」

「それなら、どうして二枚一緒に入ってなかったの?」

「へ?」

「二枚で一つなら、別々に入れる意味無いじゃん」

 瑞穂の言ってる事は最もだった。偶然か必然かは分からないが、二枚の地図が今こうして揃っているからこそ立てられる仮説であり、そのどちらかが欠けている場合には意味をなさないのである。

「そりゃそうだよなぁ」

「でもさ――」

「ん?」

「その考えもアリかもね。ふふふ」

 言って笑う瑞穂の顔に、京平は一瞬心を奪われた。

「じゃ、じゃあこれは宝の地図かもな」

「そうかもね」

 そして次の瞬間、二人は顔を付き合わせて笑った。ひとしきり笑った後、事態はそこでお開きになる、そう京平は思っていた。誰か分からないが、彼女に会わせてくれた偶然の出来事だけで満足だったからだ。

 ――だが、違っていた。

 瑞穂は、二枚の地図を交互に見ながら言った。

「ねぇ、探してみない?」

「え?」

 京平の視線の先で瑞穂は笑っていた。

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